2026年10月22日
「舌がヒリヒリする」「ピリピリとした痛みがある」といった症状は、歯科医院の日常臨床において比較的よく遭遇する主訴です。多くの場合、アフタ性口内炎やカンジダ症などの感染、あるいは不適合な被せ物(不良補綴物)による機械的刺激などが原因となります。
しかし、口腔内を詳細に診査しても、器質的な異常所見が見当たらないケースが存在します。今回は、一見すると「原因不明」に思えた舌の痛みが、日常的な『食習慣』と口腔生理学的なメカニズムによって引き起こされていた症例と、その臨床推論について解説いたします。
症例:異常所見のない舌の疼痛
【主訴】 舌全体のヒリヒリとした痛み(自発痛・接触痛)
【口腔内所見】
・舌粘膜・舌縁部に著明な発赤、潰瘍などの特異的病変なし
・舌を刺激する不適合補綴物や歯の鋭縁なし
・著明な唾液分泌低下(ドライマウス)なし
視診や触診といった局所的な診査では原因が特定できなかったため、私たちは「日常生活の中に隠れた要因があるのではないか」と仮説を立て、食習慣に焦点を当てた医療面接(問診)を実施しました。
臨床推論:フルーツに含まれる「酵素」の作用
お話を伺う中で、患者様がフルーツを大変好まれ、日常的にかなりの量のパイナップル、パパイヤ、マンゴー、そしてアボカドなどを摂取されていることが判明しました。
この事実から、歯科医学的なひとつの臨床推論が導き出されます。痛みの原因は、これらの食材に豊富に含まれる「タンパク質分解酵素(プロテアーゼ)」による口腔粘膜バリアの物理的低下です。
代表的な果物由来のプロテアーゼ
・パイナップル:ブロメライン(Bromelain)
・パパイヤ:パパイン(Papain)
・キウイ、マンゴー等:アクチニジン(Actinidin)
発症の生理学的メカニズム
なぜ、これらのフルーツを多量に摂取すると舌が痛むのでしょうか。そこには口腔内の防御機構と酵素の生化学的反応が関係しています。

唾液ムチン(保護層)の分解
健康な口腔粘膜は、唾液に含まれる「ムチン(糖タンパク質)」という粘液成分でコーティングされ、外部刺激から守られています。しかし、上記のフルーツに含まれるシステインプロテアーゼ等の強力な酵素は、このムチンのペプチド結合を分解・破壊してしまいます。
上皮バリアの低下と神経の感作
保護フィルムであるムチン層が失われると、粘膜上皮が直接ダメージを受けやすい状態(バリア機能の低下)に陥ります。その結果、粘膜表面に近い感覚神経(痛覚受容器)が過敏になり、通常では痛みを感じないような僅かな刺激でも「ヒリヒリ」「ピリピリ」とした痛みとして認識されるようになります。
肉料理にパイナップルを入れると肉(タンパク質)が柔らかくなる生化学反応が、舌の表面のタンパク質に対しても微細に起きていたということです.
※これは免疫反応による「口腔アレルギー症候群(OAS)」とは異なる、酵素の直接作用による非免疫学的な炎症反応です。
指導内容と治療の経過(酵素の熱変性を利用)
痛みの原因がプロテアーゼによる粘膜への直接刺激であると推測されたため、患者様には以下の行動変容をご提案しました。
摂取量と頻度の制限:粘膜のターンオーバーと唾液による修復が追いつくよう、一度に食べる量を控える。
加熱処理の推奨:酵素はタンパク質でできているため、「熱に弱い(熱変性により失活する)」という特性を持っています。そのため、加熱調理をして召し上がるか、製造過程で加熱殺菌されている缶詰のフルーツ等に切り替えていただくよう指導しました。
【結果】 原因となる酵素の活性を抑えるこれらの指導を実践していただいた結果、約2週間程度で舌のヒリヒリ感は無事に寛解しました。投薬を行うことなく、生化学的な根拠に基づいた生活指導のみで症状の改善に至ったケースです。
まとめ
口腔内の不調は、歯牙や歯周組織の直接的な疾患だけでなく、食習慣をはじめとするライフスタイルが密接に関与している場合があります。
当クリニックでは、単に見える部分の治療を行うだけでなく、最新の知見と生理学的な根拠(エビデンス)に基づいた臨床推論を行い、根本的な原因究明と解決を目指しています。原因のわからないお口の違和感でお悩みの際は、ぜひ一度ご相談ください。
【参考文献・参考資料】
1.Dawes, C., et al. (2015). “The functions of human saliva: A review sponsored by the World Dental Parliament.” FDI World Dental Federation. (唾液ムチンによる口腔粘膜の保護作用について)
2.Maurer, H. R. (2001). “Bromelain: biochemistry, pharmacology and medical use.” Cellular and Molecular Life Sciences. (パイナップルの皮の植物化学成分(ブロメライン等のタンパク質分解酵素)の生化学的特性について
3.松尾 龍 等 (2011). 「口腔粘膜の感覚機能と痛覚受容のメカニズム」『日本口腔顎顔面痛学会雑誌』 (バリア機能低下と侵害受容器の感作について)
瀬谷アクロスデンタルクリニック
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